裏の社会、国を動かす?

いよいよアフガニスタンから米国他NATO軍が撤退することになった。2001年の9・11を受けて米国がタリバン政権を倒し、オサマ・ビン・ラーディンを始めとするタリバン多数が隣国、就中パキスタンに逃避した。ムシャラフ政権にとって、それまでアフガニスタンのタリバン政権は宗教的親和性もあって後背地の安定材料であった。そのムシャラフに米国は「こっちにつかなければ、ムシャラフ政権も倒す」と脅かしてイヤイヤ味方につけた。股割きに遇ったパキスタンは表向きは対米協力、裏ではタリバン支持(アフガン政府への攻撃)という二枚舌を使い始めた。2005年だったか、日本から超党派の議員団がアフガニスタン視察の途中にパキスタンに来たのでブリーフをした。渡辺喜美議員が私に「日本を始め西側諸国はパキスタンに対してタリバーンを早く退治しろと言っているのに一向に無くならないのは何故だ?」と質問をしてきた。私は「先生!それは日本での警察と暴力団との関係と似ています。取り締まっているかと問えば、イエス。根絶したかと問えば、ノー。では何をやっているのか?と問えば、机の下でお互い手を握っている、と言う事です」と説明した。彼は「わっかり易いね~~」と絶句していたのを思い出す。

しかし現実はもっと複雑だ。米国に与したパキスタン政権を裏切り者と見做すパシュトゥン人がTTPと言うパキスタン・タリバンを結成し、アフガニスタンやパキスタン政府のコントロールが緩いバロチスタン・カイバルパシュテュンクワ州を拠点として、ムシャラフ以降のパキスタン政府を各地で攻撃し始めた。これをインドの秘密警察RAWとアフガニスタン政府の秘密警察(NSD)が煽動・支援をしているとパキスタンは主張する。逆に、パキスタンの秘密警察ISIはアフガン・タリバンを支援し、アフガン政府攻撃を部分的に支援している。こういう交錯した図式がこの地域の内政も外交も複雑にする。唯でさえISIがパキスタン内政を動かす真の権力機構であり、実は民主的選挙まで全部コントロールしている実態に加え、外的要因のアフガン・タリバン、パキスタン・タリバン(TTP)が絡まってくると変数が多くなりすぎ、内政は不安定化するのが現実である。今や米国にとってアフガン撤兵後の最重要課題は、アフガニスタンの安定ではなく、パキスタンの核がタリバンやアル・カイーダ他の過激派に渡らないようにすることだ。何世紀にもわたってロシア・英国等が介入してきたアフガニスタンは最早タリバン以外には統治不能であり、彼らに任せればよく、考えてみればアフガニスタンがどうなろうと、テロと核の輸出を除けば欧米の国益には関係がないと結論付けたようだ。

パキスタンのような文明圏の周辺に存在する国家に在っては外生要因が可なり内政に影響を与える。その影響の度合いはその国の国力とも関係する。トルコの場合は文明の交差点にありながらも、オスマン帝国の末裔と言う事もあり国力は強い。中国の様に帝国が外国の干渉で崩壊した歴史から、外国勢力の干渉の陰謀論が盛んだが、実態は国内での諸勢力の権力闘争の方が余程激しい。トルコ赴任前に「Deep State」というのが存在すると聞いた。トルコの伝統的な権力である軍、公安、司法、教育が中心に、裏で結束して国の政治から始まってビジネスまで方向性を決め、殺人をも厭わず、政府の転覆を始め計画、実行していくという話だった。彼らはアタテュルク信奉者で極右の国家主義者が中心であった。なのでムスリムに対しての敵意は相当なもので、宗教色のかかった政権が選挙で選ばれると俄かに活動が活発になった。20世紀のトルコの裏の世界は世俗主義者で固められていた。彼らは世俗主義の旗印の下で、それに反すると見做す動きに対し、様々な超法規的な計画を行動に移した事件が、エルゲネコン事件とか、スレッジハンマー事件とかいう形で表面化した。

ところがAKPが2002年に政権を取ってからはアタテュルクの国是とは反対方向へと、トルコ社会のイスラム化が着々と進んだ。それを裏で支えてきたのがフェッテュラ・ギュレンであった。宗教団体のギュレンは学校経営他から収入を得てメンバーは教育、公安、警察、ビジネス、メディアから始まり果ては世俗派の牙城である軍や外交にもネットワークを張り巡らし、情報を一元化してAKPの権力構造基盤強化に貢献した。日本でも、若いトルコ人で日本語が良く出来てケバブ屋さんをやっていない人は先ずもってギュレン関係者であろう。私がアテネのシンポジウムでAKPについて「宗教色豊かな政党」だと形容したことはアンカラに直ちに報告されており、AKPの議員から白い目で見られた記憶がある。フェッテュラ・ギュレンは米国ペンシルバニアの亡命先からトルコ内政を動かしていたと言える。このギュレンも2013年のイスタンブールのゲジ公園デモで政府の方針に反旗を翻し、エルドアンの息子を含むAKP幹部の収賄疑惑に真っ向から取り組んだことからAKPと対立した。エルドアン大統領は2016年のクーデター未遂事件をギュレンと関連付け、徹底的にギュレンをテロリストとして弾圧するに至った。この様に裏の政治権力であったギュレンも時の流れの中で権力を喪失していくことも忘れてはならない。

 

 

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