外交文書は書かれていないことが核心

2022年2月25日、ロシアのウクライナ侵略から一日、ロシア軍がキエフに迫る。目的は明らかで、ウクライナの政権転覆により、これを中立国として緩衝地帯にする、即ちロシアの衛星国にするということだ。ロシアも、米欧も、ウクライナも夫々に言い分がある。その言い分を明確にするために各種の協定、条約、約束、覚書等々文章がある。しかし外交の結果と言うのはいつも妥協の産物である。と言う事は曖昧に描かれている、と言う意味だ。「悪魔は細部に潜んでいる」とは常々外交文章を作る時に思い起こされるが、「悪魔は行間に潜む」あるいは「悪魔は書かれていないことに潜んでいる」と言った方が正しいだろう。

ベルリンの壁が崩れ、ドイツ再統一がなされる時、コール首相を始めとする欧州首脳はゴルバチョフに対し、ドイツ統一をソ連が是認する代償として、NATOは一インチたりとも東に拡大しないと約束した。しかしブッシュ(父)は東欧諸国の声に負けて、その約束を反故にした。最初は東独部分に、そして旧東欧部分にNATOは拡大された。これは合意文章に無いが歴史の真実である。ロシアにとってこれは背信行為以外の何物でもない。

1994年、ウクライナ他がNPTに加盟するにあたってOSCEで署名されたブダペスト覚書。クレバ・ウクライナ外相は「核放棄の代わりに、米国が交わした安全保障の約束、「誰かが我々を攻撃したら、米国が我々を助ける国の一つの国になる」が存在した。米国はこれを守るべきだと言っている。これもブダペスト覚書には書いてない。覚書には「支援のために、則罪に安保理の行動を要請する」としかなっていない。しかし、大国の二枚舌を考えれば同外相の言い分が正しいのではないかと私は思う。ウクライナは今になって核を持っていたら侵略されることはなかったと悔やんでいる。

ビスマルクは「ロシアと結ぶ合意には、そこに書かれていることに価値はない」と言ったが、これはそのまま米欧主要国にも当てはまる。

所詮外交文書は、成果物とはいえ、現状保全以上のものではなさそうだ。未来永劫に亘って守られると信じるのは愚直、お人よしに過ぎる。国連憲章を見てみよう。人権無視の中国が安保理常任理事国、イランが人権委員会メンバー、核を公然と持つインド・パキスタンがIAEAの保障措置を拒否、腐敗に塗れた中東、アフリカ諸国が腐敗防止委員会のメンバー、純真無垢の日本人から見ると欺瞞だらけの現実が見える。

この世界に会って自国の安全を確保するのは自分自身でしかない。自ら血を流しても、戦っても安全を確保するという覚悟を常に新たにしておかねばならない。そのための手段を常に新たかにしておくことが必要だ。これが最も重要なウクライナ事変からの教訓である。

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