バイデンの人権外交が始まった。ミャンマー軍部・同関連事業に制裁を課し、サウジのMBSがカショギ殺人の最終権限者と認定して、サウジ高官に制裁を課した。欧米の人権外交は米国の牙がなければ成立しない。欧州だけでは遠吠えに終わってしまう。トランプ時代は米国は人権に関心なく、専らディール外交で、リアルポリティクスの全体戦略も持たなかったので、欧州がいかに吠えても、専横国家は安心して居られた。
バイデンは時計の針を4年戻そうとしている。しかしその間、世界は変わってしまったのだ。先ずは米国自身の人権尊重の化けの皮が剥げた。WASPには余裕が見られなくなり、又彼らは自己利益追求に走って、米国全体、ましてや世界の情勢に目を向ける余裕はなくなってしまった。その間、黒人への差別・移民難民への圧迫をトランプ大統領自身が煽ってきた。
その結果として、国際社会では、人権や自由と言った人間の根源的欲求よりは、社会や国の安定の方が大事であると考え、その安定をもたらすのは自分であるという権威主義体制が跋扈し始めた。米国から批判されないのなら、歴史伝統的に親しまれてきた独裁・専横政治体制が幅を利かせ始めるのも無理はない。ユーラシア大陸では、その悠久の歴史の中でこのような独裁・専横政治は当たり前に存在してきたし、現在も人々の関心はどちらかと言えば経済利益の追求、社会の安定、地域の平和にある。自由や人権は大切だが、そのために命を犠牲にしない。先ずは食、職の安定確保を求めている。習近平、プーチン、エルドアン、MBS、モディ、オルバンと言った指導者は欧米の民主主義のメッキが剥がれたところに付け込んで自分好みの権威主義統治をし始めた。ムンジェインもその類だ。
この様な世界にあって、バイデンが4年前へのネジの巻き直しをしようとしても、かなり無理があるのではなかろうか。所詮、人権・自由を重んじるのは概ね欧州と北米である。就中欧州は国際関係の処理に当たっても法治、話し合いを重視している点、「統治」のやり方は米国と比べても頭一つ抜け出て洗練されており、他の地域がこれに倣うのは無理がある。国連の一国一票も、人権委員会も欧米人の発案で、中露印や、ましてやアラブ諸国は心底馴染んではいない。言ってみればこれらの国際機構は欧米の理想主義が高揚した時点で作った産物であり、途上国を始め他の国は従えと言った上から目線の機関でもあった。日本ですら例外ではなく、安倍外交が自由と民主主義を掲げていたが、空回りの部分が多分にあった。菅内閣は声高に自由、人権を叫ばない(ミャンマー)。
その上で中東を見ると、その行く末は混沌としか言いようがない。アラブ対イスラエル・欧米の座軸が崩れ、イラン・トルコ・カタール対サウジ・UAE・エジプト・イスラエルと言った新たな座軸が出てきており、それがシリア、イラク、イェメン、リビア、イランの核問題、東地中海の石油、等の地域問題に投影されている。米国がその対立軸の一方に案件によって加担すると、他は中露と言った外部勢力に傾斜して、これらを引き入れやすくなる。中東和平他の案件を考えるとサウジをどうしても関与させざるを得ないので、これを疎外することは無意味である。米国がどの程度MBSを疎外するかにもよるが、サウジが露中に傾斜すると中東は混乱するであろうし、その余波が中東のみならずアフガニスタン、パキスタン、マグレブ等々に広がるであろう。MBSもカショギの件では相当極悪非道だが、それが常態のユーラシア大陸なのだから、若干の幅を持った外交が必要となる。