トランプの世界・朝日新聞

「強くて正しい米国」はもういない 戦争への道を歩まないために何をすべきかついに始動した高市政権。厳しい安全保障環境下で、日本が進むべき安全保障を元外務省高官への取材から探ります。日本は「ハリネズミ国家」になるべきなのでしょうか?牧野愛博2025.10.26 自民党の高市早苗総裁は21日、衆参両院の首相指名選挙で第104代首相に選出されました。すでに「高市首相」誕生が確実視されていた前日、私は2人の元外務官僚と面会していました。おひとりは湾岸戦争時を含めて北米局幹部を務めたA氏、もうおひとりは、1996年4月の日米安全保障共同宣言に携わった元幹部のB氏。私はお二人に主に安全保障という観点から、高市首相と日本政府が取り組まなければいけない課題とは何なのかを尋ねました。 高市早苗首相高市早苗首相 まず、両氏が口をそろえたのが、ほぼ30年前の日米安保共同宣言の時代と比べ、日本を取り巻く安全保障環境が激変したという事実でした。私は当時、外務省で共同宣言の行方を取材していましたが、外務省内で共同宣言について疑問視する声はゼロでした。米国についていけば大丈夫だった時代 この共同宣言は、冷戦終結という新たな局面を迎えた時代状況に合わせ、日米同盟の意義を再確認するとともに、新たな役割と責任の方向を定めたものでした。その後、日米防衛協力の指針(ガイドライン)や様々な安保法制につながりました。この作業に携わったB氏は当時の米国について「まさに(日米安保の強化を訴えた知日派の国際政治学者)ジョセフ・ナイの米国でした」と語ります。ナイ氏は米国のソフトパワーを重視し、価値やルールの大切さを説き、「世界があこがれる米国」を体現しました。B氏は「米国についていけば大丈夫という安心感がありました」と振り返ります。 続けてB氏は「今の日本の安全保障環境は全く違います」と語ります。「トランプ米大統領は価値観よりもトランザクション(商取引)を重視します。かつての『強くて正しい米国』とは違います」と話します。 では、そんな状況で日本はどうしたらよいのでしょうか。 A氏は「日本はハリネズミ国家になるべきです」と語ります。「万が一、日本が侵略された場合、核兵器は必要ありませんが、侵略国家の首都を破壊できる力くらいは持つべきです。米国製の兵器を買えばよいという時代ではありません。自国の科学技術を結集し、予算も投入して備え、『日本はミサイル国家だ』と宣言すべきでしょう」。B氏は「日本独自の報復能力を論じた場合、核武装論が出てくるのは避けられません。ただ、核武装はコストが莫大になるうえ、国論分裂を招きかねません。ニュークリアシェアリング(核の共有)を真剣に検討すべきです」とも話します。 もちろん、お二人の指摘は国会で議論になった「反撃能力の確保」どころの話ではありません。「専守防衛の原則」「非核三原則」、さらには「憲法9条に違反する」という声も出てくるでしょう。ただ、お二人が共通して指摘するのは「日本はそのくらい変わらなければいけないほど、安全保障で危機に立たされている」という事情があるからです。A氏は「日本人は戦後、まっさらな土台から『非核三原則』『武器輸出三原則』『PKO五原則』『原子力平和利用三原則』『宇宙の平和利用原則』『武力行使一体化論』などなど、様々なルールを作って自分で自分を縛って来ました。でも、日本人はともすれば、それを金科玉条のように扱い、タブー視する傾向があります」と語ります。B氏も「今積み重ねられたルールはすべて、『強くて正しい米国』の時代につくられたものだと考える必要があります」と指摘します。 お二人とも好戦論者ではありません。「どうしたら、平和な日本を次世代に残すことができるのか」という観点でお話をされていました。与野党が高市政権と協力し、国会などで憲法論議だけではなく、実体的な安全保障論議を行う場を作っていくべきでしょう。経済危機と外圧 さらに、少し心配なことがあります。それは高市首相の歴史認識でも外交観でもなく、経済・社会路線のことです。A氏は「経済を再生しない限り、戦争の危険は常につきまといます」と指摘します。思えば戦前の日本も、大正期は民主主義や反戦平和主義を唱える声が優勢でした。ところが、1929年に始まった世界大恐慌が日本にも及びました。政党が経済危機を解決できないなか、資源を求めて中国大陸に進出した陸軍に期待が集まり、それが1937年の日中戦争につながります。大陸での利害のぶつかり合いから、最終的に太平洋戦争に至りました。戦争の背後には常に経済危機が存在するのです、 A氏は「日本経済の弱点は低い生産性と人口減にあります」と指摘します。デジタル化を進めて産業競争力を高めることはもちろんですが、女性の社会進出を中心とした「働きやすい社会」の実現も必要です。選択的夫婦別姓や移民の受け入れなど、保守派の一部がタブー視する問題も避けて通れないでしょう。そして、A氏は「日本は島国でもあり、社会を大きく変えることができたのは、いずれも外圧による結果でした」とも語ります。確かに、明治維新は1853年の黒船来航が契機になりました。戦後日本の平和主義も敗戦から出発しています。 高市首相には日本初の女性宰相として、外圧によるものではない、日本国民が自分の頭で考えて議論できる良い環境を是非作ってほしいと願わずにはいられません。
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