歴史的転換点・2025 Historical turning point

いよいよ2025年が始まりました。2024年の諸々の選挙、政権転覆その他の事件を経て、重商主義時代のごとく、世界の火薬庫周辺で新たな勢力による熾烈な生存競争、闘争が起こる時が来ました。

その震源はトランプ2.0でしょう。米国一国主義、孤立指向、国際協調への抵抗、法の支配への反抗、トップダウン、ディール外交、人権外交の放棄等々従前のアメリカではないアメリカが登場して来ます。「西側」の主要国首脳は、選挙を経ても、経なくても、イタリア以外では国内支持基盤が揺らいでおり、トランプに対抗し主導権をとる力はありません。その他超大国、露、中、印も同様で、ロシアはウクライナ侵略戦争で疲弊しているのみならず、その余波で北朝鮮との同盟、民間機の撃墜といった事象を引き起こし、国際社会での道徳的基盤を失っています。中国も国内統治が揺らいでおり、不動産不況、地方政府の負債増といった経済基盤が揺らいでいます。又軍内部での権力闘争が激化しており、習近平の絶対的権威も雲行きが怪しくなってきました。印もモディのヒンドゥー至上主義が昂じて支持基盤が揺らぎ始めました。新興国、いわゆるグローバルサウスは意気軒高なるも実態が未だ伴っておりません。

日本周辺の世界では、韓国は大混乱、尹錫悦以前に揺れ返しが起こりそうです。北朝鮮は、核兵器国として「制裁と共に」生きる方針にかじを切りました。台湾有事は蓋然性が依然小さくなく、ASEAN諸国は纏まりに欠けています。

このような世の中、日本の針路をどうとるべきか?メディア論調は現象面に焦点を当てており、日本を導くにあたっての座標軸は何かについて殆ど言及がありません。それ故、私はここで外交的選択の座軸をどう捉えるかにつき論考したいと思います。

まず指摘したいのは日本の地政学的立ち位置と世界情勢の矛盾、そして日本人の考え方と世界の常識的考えとの矛盾の二つのミスマッチについてです。このミスマッチを上手く両立、調和させないと日本は珍鳥・奇獣の住むガラパゴス島になってしまうでしょう。

地政学的立ち位置ですが、日本は自立自存が出来ません。資源も、エネルギーも、市場もなければ、軍隊ですら持てていません。日本は超大国ではありません。超大国というのは、孤立しても自立した経済圏で生存可能な国です。故に、日本は国民を豊かに、安心させるためには必然的に自由貿易による付加価値で生存を図らねばなりません。其のためには皆と仲良くするのが要諦で、国連中心主義がここから導き出されます。又その延長線上には中立志向があります。

残念ながら日本を取り巻く世界情勢は、そのような日本の思いを簡単には許容してくれません。

第一に、80年前の日中戦争・朝鮮統治・東南アジア侵略の傷跡が未だ癒えていません。中韓のように、これを対日政治的梃子として利用しているのを捨象しても、これらの国々では三代百年間に亘って家族から直接聞く物語として語られると覚悟した方がよさそうです。それを過ぎれば直接の伝承話は終わり、歴史の教科書にある史実になって反日感情は消えていくでしょう。しかし被害を忘れまいとして愛国教育を施す中国・朝鮮での対日敵意はなかなか消えないかもしれません。危機の際に日本に連帯を示す友人はいかほどいるか?心配です。

加えて、日本はロシア・朝鮮・中国と領土問題を抱え、朝鮮半島、台湾海峡という紛争地帯に隣接しています。隣接地帯の紛争はどう避けようとしても避けきれず日本は巻き込まれます。「台湾有事は日本有事」というのは正鵠を得ています。更に悪いことに、ロシア、北朝鮮、中国は核兵器を保持して日本に対し威嚇してきます。日本は米国を含めば4つの核兵器国に囲まれているのです。本来なら日本も核武装して国を守るのが必然ですが、被爆体験がそれを妨げています。従って、日本国民に最も親和性のある米国の核の傘に頼ってきましたが、戦後80年の安定はその政策が正しかったと証明しています。中立はあり得ないのです。

次に日本人の思考・発想が世界の常識とずれがあることに、我々はもっと留意すべきでしょう。

ウクライナを見てもロシア・ウクライナ双方とも力による支配を拡大せんと務めています。中東紛争は古代時代からの力が支配する地域です。日本のテレビ番組では異口同音に何で停戦が実現しないのか、何で人道悲劇を看過して戦い続けるのかと言った嘆き節が聞こえます。韓国との関係でも日本への「恨」を何で今でも持ち続けるのか、と嘆きます。日本人は原爆投下した米国への恨みをほゞ昇華させています。寛容とか、妥協とかが日本の文化です。「いい加減に」というのが日本の「喉元過ぎれば熱さを忘れる」文化なのです。しかし、ユーラシア大陸の歴史において、異民族による侵略・略奪・征服・奴隷化・文化の塗り替えは限りなく行われてきており、自分たちの守るべき価値・財産のためには最後まで力で戦わざるを得ないのです。「自由か、さもなくば死を」というのが精神文化であり、正義のためには命を懸ける、又為政にあって力で臨むのが当たり前なのです。

屡々、ヨーロッパは対立を力で解決することなく克服しているという説を聞きます。でもヨーロッパ、とくに西欧が特殊なのです。啓蒙主義を経て、又幾多の戦いを経てやっと今の段階にたどり着いたので、ガバナンス、統治の観点からは一段進化した存在であり、国連もそれを実践する場として創設されたのですが、西欧的価値観で世界は必ずしも統治に成功しないのです。

もう一つ世界の大勢と異なる文化は、変化か安定かということです。

日経の元日版に「日本の若者は協調を、世界は自国優先のリーダーを求めている」と世論調査がありましたが、日本人は基本的に保守的で変化を嫌います。協調による安定を求め、又継続性、前例踏襲主義をとります。「万世一系の天皇制」を誇るのもそれに価値を見出しているからです。対して大陸国家では安定は望めません。常に異民族流入による変化が訪れます。そこでは集団を安全に導く強いリーダーが望まれます。上意下達で素早く変化に対応しなければ全員が被害を被るのです。変化への対応と瞬時の修正力こそが、大事な価値観なのです。

こう見ていると、日本が抱える世界との断層、齟齬が結構克服するのが大変そうに見えます。それは失敗の経験が少ないからでしょう。どの国や民族もそれぞれ外界との接点を求めて妥協していくのは当然です。時として異民族の侵略、革命といった事態で妥協がなしえない場合もあるでしょう。日本はそういう事態に至る危険性は少なく、あくまで外界との接点を模索する必要があります。

NHKのインタヴューで吉田茂元首相が、日本外交の要諦を問われた際に、「苦労することだね」と答えました。日本人の何たるかを、そして日本の歴史を十分踏まえたうえでの至言だと私は思います。

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