国葬に想う
今日安倍元総理の国葬が執り行われた。一万人を超す献花、記帳を望む人々の長い、長い列が私の近所まで及んでいた。そこから数百メートル先では矢張り一万人を超す人が「国葬反対」を叫んで抗議活動をしていた。私から見ると実に日本的な行動様式だ。即ち「権力」と「権威」が分離してきた日本の歴史のなせる業、日本式「統治」の解をそこに見た。これを説明しよう。
戦後、国葬に付された政治家は吉田茂一人である。それは珍しくはない。紙幣の顔を見てほしい。伊藤博文以降(その前は高橋是清、岩倉具視)戦後、どの為政者が紙幣の顔になったか?紙幣の顔になったのは概ね日本人が納得して尊敬できる功績、其れも一つの分野だけ、を挙げた人々である。野口英雄、渋沢栄一、福沢諭吉等々。
銅像はどうか?一番多いのは二宮金次郎、空海、日蓮!!その他はと言えば、坂本龍馬、松尾芭蕉、笹川良一(!!!)。為政者で言えば、日本武尊、織田信長、聖徳太子、明治天皇、神武天皇等々。通りの名前はどうか?東京で言えばモーツアルトやマッカーサーと言う外人の名前を冠した通りはあるが、あとは文化人、明治の戦勝軍人くらいで為政者の名前は皆無と言っていい。
日本人皆が崇め、尊敬する為政者は百年単位で遡らないと見当たらないのである。明治の元勲でも数名に過ぎない。戦国時代辺りまで遡らないと日本人全体が尊敬する為政者には会えない。何と悲しいことか!
何故か?一つの分野での功績は容易に客観視できる。物理学、文学、はたまた民権運動をも。だから国民の総意は把握しやすい。しかし、功績分野が「統治」となると、話は別である。統治は国民一人一人の生活を深く左右する。その影響は一憶2千万全員に及ぶ。評価は千差万別、歴史の中でしか収斂していかない。「統治」は「権力」に支えられている。死んで「権力」が無くなれば、残ったのは「権威」があるかないかでしかない。日本の歴史は、「鎌倉殿の13人」にあるように承久の乱以降、(戦前一時期を除き)武家の権力と天皇の権威が分離・併存する形で刻んできた。これは世界にも珍しく、銅像、通り名の人名不在もうなずける。統治における真の「権威」は天皇にしかなかったし、無いのである。だから、ある為政者が権威があると思っても甲論乙駁で国論は収斂しないだろう。明治の元勲ですら権威付けが終わった人は伊藤博文等数えるほどしかない。戦国時代辺りまで500年遡らないと日本人の中で為政者の評価は定まらないのだろう。
では天皇であったら国葬は当たり前でも、銅像、通りの名前、紙幣の顔まで出てくるのかと言えばそうでもない。今までの皇統126代の中でも近世では明治天皇が稀にある程度で、後は聖徳太子だとか神武天皇とか、この世離れした存在しか見当たらない。明治天皇にせよ、尊敬に値する「権威」は「明治」という制度であって、天皇と言う個人では必ずしもない。「明治」と名の付く通り、会社、その他諸々は多々目に付くが、個人を顕彰するものは殆どない。
何故か?そこには個人で行動しない社会という日本人の精神構造が反映されているような気がする。戦後、米国理想主義の影響下で作られた憲法の下、個人主義と国民主権が可なり根付いては来たものの、所詮日本人のメンタリティーの根底には共同体意識が根強く存在する。決定も、責任も共同体が取る。だから戦争責任も国民総懺悔となり、だれも責任を取らない。共同体を体現するのはその組織の職、地位であって必ずしも個人ではない。従って顔が見えない。見えなければ銅像も経たないし、紙幣の顔にもならない。
今回の国葬を見て思うのは、国葬が全ての国民の弔意を表す以上、皆が納得するのは共同体単位で弔う事であろう。そうであれば総理大臣(現、前、元)は政府の長で又与党の頭であるから、国会と政府で弔えば良かったのかもしれない。国葬は天皇及び準ずる皇族のみで良いのではなかろうか?これは法律でも担保されている。